柳剛流の剣客である中山幾之進という人が残した「攪撃修行録」
という資料があるのですが、これは幾之進が修行の為に行った剣術の試合の記録として
対戦した相手に流儀、氏名を書いて貰ったというものです。
その中に「飯田町堀留大久保九郎兵衛門人 一刀流 山南敬輔」
という署名があり、試合があったのは1853年(嘉永6年)4月15日の事と推定されています。