四男義雄氏は剣道専門家の道を志し、国士舘大学を卒えて県立川口高等学校の先生として剣道を教えていたが
惜しい哉第2次世界大戦で善戦克く敢斗され壮烈な戦死をされた。(27才・剣道五段錬士・陸軍中尉)
あとに、斎村五郎先生の取り計らいにより楯政知先生が県立川口高等学校の先生として剣道を教える。